僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

少年の心

切り捨てのない成長

 

友人から気付いたこと

純粋な心というのは失ってはいけないものである。

先日、僕の好きなデスゲーム(ダンガンロンパ)を友人に紹介した時、こんなことが返された。

「僕、デスゲーム嫌いなんだよね。キャラが死ぬと一週間くらい引きずっちゃう」

僕も、当然推しキャラが死ぬともちろん悲しい、、、と言いたいつもりだが、そのようなアニメ自体あまり見てなかった。なぜかダンガンロンパだけ好き。というわけで、果たしてこんな僕が言えるのかどうかはわからないが、キャラが死ぬとしても、一週間も引きずるなんて衝撃である。焼き付かれすぎである。でも、この後に別の話題に入って、また、ビックリするようなことを言った。その話題はボカロなのだが、彼はこう言った。

「あの歌聞くと泣いちゃう」

…これに関しては断言できる。僕には絶対起こり得ない。僕は何曲もボカロを聞いてきたと自負しているが、それでも、泣いたことは一度もない。鳥肌が立つ経験でさえ、せいぜい一曲しか覚えていない。(その一曲とは、「Unfragment」。この歌の二番のサビで何回か鳥肌が立つ)

この言葉を聞くと、思い当たるものがある。一週間引きずるくらい、歌で泣くくらい、彼は、作品や音楽に真摯に向き合っているのか、と思った。真摯というか、素直というか、、、その態度を形容する言葉はこれぐらいだが、性格に関しては、「純粋」という一言がベストマッチかな。彼は僕と同じ成人だが、少年心は失ってなかった。これこそ、僕も最も失ってはいけない(もはや失っているかもしれないが)心なのではと思った。心を失うのには、さまざまな要因がある。何かしらの悲劇を経たりとか、どこか遠いところに行くとか。ただ、これらは特別な状況と言える。しかし、誰もが通る状況ももちろん存在する。すなわち、歳をとることである。これも何かしら心を失うひとつの要因と言える。大人になって、周りを見すぎて、素直に泣けない、雑多なことに気を取られて集中できない、、、などなど。これは多分避けられないものだろう。だからこそ、できるだけ、失いたくない。少年心はある程度までは持っていたい。これは、退化とは全く違う。別の面では成長しつつも、その心を失わないということ。成長と切り捨ては両立可能だと思う。

ちなみに、彼と何回か長く話すにつれ、性格や思想がだんだん分かり、その人の中身にもっと近付けていくのは面白い。

 

少年心を保ちたい

で、どうすれば。僕としては、「音楽や小説に触れ続ける」ことが最善手だと思う。これは、できれば子供の頃聞いてた・読んでた系統のものの方が望ましいが、どんなものでも本質は変わらないと思う。すなわち、「創作物に触れて感動する」ことをずっと続けること。なにも、大人っぽい小説でも構わないと思う。これで、ハッピーエンドに安心したり、悲劇に泣いたり、なんとも言えない安心感を感じたり、、、。音楽を聴いて「あ、この部分大好き!」とか思ったり。これこそ僕が思う少年心だ。

結局、非現実的なものに触れることを忘れてはいけないと思うのである。大学のレポートやサークル活動などで、ブログを前までの頻度で書けないほど時間がなくても。

それでも、少しは、忙しくて現実のことしか考えられない時間の中でも、ちょっとだけ、そんな創作物に触れる時間が必要だと思う。純粋な心で、素直に感動する、、、。これこそ、忘れてはいけない営みではないだろうか。

また、本当にたまにでいいから、昔読んだ本や昔よく聴いた音楽を読み・聞き直すと、その当時のことが思い出されて、不思議な気分になる。懐かしい感じがする。これこそ、「モノは記憶活動を媒介する」ということ。前どっかで書いた内容である。

 

今日はここまで

大丈夫だとは思うのですが、消えたらごめんなさい。たぶんこれからレポート地獄が待ってます。うわぁ、、、。

また、書ける時が来たら。最近欠けてますけどね、その時間。今、結構節約してますが、賭け事して金欲しいくらいです。

少々急足で書いたので、変な表現があったらそれはそれで。

ここまで読んでくださりありがとうございました。