僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

非日常的日常

足が疲れた(数十日ぶり)

 

ちょっとくらいは

 10+α(+β)年ぶりにやってしまった。ボウリングとかいう遊び。大学の研究で先にボーリングをすると思ってたくらい、そういうものとは疎遠であった。といっても、ボウリングそのものというよりも、ボウリングをするくらいのノリの空間の方が疎遠だ、と言った方がいいかもしれない。僕はそういう人。でまあ、感覚がわからなかったので最初は安心と安全のガター祭り。難しいな...と思いつつも、他の人がなんだかんだいい点を取ってるので怖い。ガター祭りは2回続いた。二浪してるようなもんである。一応三浪目でなんとかいい感じの滑りどめに合格したくらい。何回かスペアを取り、2度ストライクを取れたのは良くやったと思う。初心者というかガチ未経験者の中では頑張った方でしょうね。そうであって欲しいです...

普通に床にボールを激突させるくらいの投げっぷりを見せたものの、なんとなくわかるものがあり、優しく投げることを意識したら上手くいった。多分次はガター0でイケると思う。ま、その次があれば、だが。幸いにも現在入ってる部活は室内で遊ぶなら部の活動をするくらい活動そのものを好むので、どうやら次は相当遠くになりそうだ。良かった(^^;; もうガター祭りは嫌である。とても楽しかったけどね、、、あの時珍しく全然スマホ見なかったくらいだからね、、、でも、疲れるね。

黒歴史と思い出の狭間で

一つだけ思い出したことがある。そういえば、中学の最後、なんか3年の同じクラスでボウリングをしたらしいのである。ただ、そのした「らしい」と書いた通り、僕は参加しなかった。一応、その会をすることは聞いていたし、参加しようと思えばぜんぜん参加できた。しかし、なんかいつの間にか家で時間が過ぎていた。市内のボウリング施設で遊んでいたらしいが、さらに担任の先生もいたらしいが、僕とは遠いところにいたみたい。1学期の学級委員長も務めたくらいだったが、なぜかクラスへの帰属意識があまりなかった。中学の卒業式も、何故か泣かなかった。泣けない自分が嫌になった。ただ、涙をこぼそうと感動チックな想像をしても無理だった。小学校のころは泣いた気がするのに、。どうしてあの時泣かなかったのだろうか。

中学生というと、the感受性豊かで、当然人間ドラマは沢山登場する。僕の中学はまだ治安が良かった方だが、他のところでは怪しい族に入っちゃったり、ちょっと吸っちゃったりする人はいるみたい。人間ドラマがあるような界隈にはできるだけ関わらないことを徹底したため、幸いにも僕の聞く範囲でグロい話を聞いたことはなかった。これだけはチーズ牛丼食ってる系陰が薄い人なりの良さと言える。僕はそういう話を聞くのが嫌いである。単純に考えて、話したことある人や見たことある人でも、変な方向に走ってしまうのを知るのは気分が悪くなる。あの時話した記憶が蘇り、「あいつが、、、なんで」と思ってしまう。実際中学生から悪くなりがちな人は悪いことしてもおかしくないのかもしれないが、どんな人でもできるだけ良い面を見出そうとした僕に取っては残念としか言えない。これが泣かなかったこととどう関係するかというと、、、こんな良くも悪くもぷかぷか浮いてた僕も少々嫌なことされた記憶があるのだ。そいつらは特に法律違反系の明らかやばいことはしない人(うまく分別してしぶとく生き残る、とも言える)だが、嫌がらせだけは一級品。ズボンの紐をゆるめていた僕のズボンを下げ、嫌な反応して笑われることは数回あった。僕は今まであまり人を嫌うことはなかったが、そんなことをしたり屁理屈言うそいつのことは好きになれない。The陽キャって感じの奴。でも、、、そういう人のが社会で強いんだろうなと言われれば何も言えないが。

そうなると、中学の記憶を振り切って正解だったと言えるのかもしれない。ボウリング大会なんてブッチして、卒業式もススーッと対処(?)するのも、僕の心の状態から考えればそんなおかしくなかったかもしれない。

しかし、なんか後ろめたさが残る。ここで成人式までブッチしたら、今度は逆に「あの人ってそういう人だったんだ。」「いねーよそんな人」と言われる将来が見て取れるし、なにより僕としても成人式には参加しないといけない義務感が謎にある。そういう式に参加するかしないかで、その人の中がちょっとわかる気がする。どれだけ中学時代が嫌いでも、成人式には(こっそりでも)参加しないとダメな気はする。過去の清算でもなく、また話そうと頑張るのでもなく、ただ姿を見せておく感じ。参加しないと本格的に「ついて来れない」。これを良しと割り切る力は僕にはない。

黒歴史と思い出の間に中学時代が存在している気がする。これがどちらに傾くかはあと数年次第か、はたまた数十年後か。僕としてはどちらでも良いと言えば良いけど。しかし、どれだけ過去に気を取られて自分のことしか考えられない程になったとしても、今の友達を見捨てては絶対にいけない。これだけは胸に誓おうと思う。寄ってくる人を拒んだらそれは最悪である。寄ってくる人には無意識下でも意識上でも感謝しなければいけない。もし間違えたら本格的に1人。誰とも付き合えない寂しい人になる。

*これは完全なる僕の思想だが「友達が居ない」と気軽に言ってはいけないと思う。もし聞いてる人が僕の友達だったとしたら。彼(彼女)にとっては、僕の友達と認識されてないことになる。考え過ぎかもしれないが、平然と言うことには無意識下の心情が現れているとどっかで聞いたことがある。「(あまり)友達が居ない」と言ってる人がほとんどだと思うが、それでも、友達が居ないと平然と言うと友達になれそうなくらいの人が離れてしまいそうな気がする。親友くらいは流石に離れないと思われるが、友達になりそうな知り合いが離れるのは少々痛手だとは思う。

 

今日はここまで

そろそろ大学生的な生活に戻そうと思う。復習します!!仏語も数学も理科もなにもかも。

スマホではできるだけリアルから離れたい派の僕としては、最低限のLINE以外のセンは消したいつもり。知り合いのInstagramTwitterも多分見れない。リアルの想像との乖離をあまり好まないのである、、、素直に想像してるのが一番楽しいし、変な現実に絡まれないから想像を良い方向に引っ張りやすい。ま、ちょっと恋しくなったら覗くかもしれないが。そうなったらそうなったで。

ここまで読んでくださりありがとうございました。