僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

帰省中

僕の気性の話

寄生中

 昨日、脱(出!)北(海道)した。久しぶりの地元。飛行機で1時間ちょいかかって、新幹線に乗って、地元の群馬県についたのは夜10時あたり。実家も、懐かしいという気分は特になかった。いつも通りの日々が流れており、ちょっとした旅行の帰りみたいな感じで、寄生する。まだ一ヶ月程度しかマンションに住んでないから、そんなもんか。安心感なんて特にない。これが普通であるのでわざわざ感じることもない。ただ、一つだけ言えるのは、ドライヤーの乾き速度がとても速いことだろうか笑 マンションのドライヤーは大手企業の製品ながら、安いものなのでどうも音が弱々しい。僕はドライヤーへの意識が高いので、さっさと買い替えて風がバンバン出るものに変えたい、、、と言いたいところだが、マンションの電気の関係上と金銭的にほぼ無理そうなことが発覚している。残念。

ベッドも、快適もなにもない。いつも通り。特に変なことを考えるまでもなかった。最初の帰りはそんなもんだろう。夏になってお盆かなにかで変える時に強く、強く意識されるのだと思う。ああ、懐かしいな、、、と。現時点では、僕の日常は二つの世界で起きている気がする。大学のある、本籍地の北海道のマンションの世界と、実家の、群馬県の一戸建ての世界。此の感覚はそろそろ失われるだろう。いつか実家の感覚が薄れて、「懐かしい」なんてことを言ってしまうのかもしれない。それはそれで時間の流れを感じる、嫌な瞬間である。まだ僕は一人暮らしを始めたばかりだからこそ、こんな感覚は起こり得ないのである。...だいたい同じことしか言ってないが、とにかく、まだ懐古感がないまま実家に時が流れているってだけだね。

 

奇声 注!

僕がこんな時期に帰省した理由は単純で、高校に呼ばれたからである。まぁ、正確に言えば、呼ばれなくてもこのくらいの時期に遊びに行く予定ではあったが。ただ、呼ばれたという事実は僕にとって有意に働いたのは後の話。

高校、、、男子校、、、変わってない。やはり、男子校に奇声はつきものなのか。恐ろしい話である。共学の高校では考えられない話である。モテないからとかそういう単純な理由でなくて、おかしく見られるから、に尽きるだろう。しかし、男子校はある程度のおかしさが許容(?)されているので、奇声が稀に聞こえる。僕はああいう金切り声をあまり好まないので不快といえば不快であるが、ああ、あの高校に戻っちゃったんだなあ、、、と深い懐かしさに襲われるといえなくもない。意外と高校にいる違和感がなかったのも面白い。普通に高三のころ通った道を歩いて、ちょっと荒れたところも普通に進み、外にある水道の水を飲む。自販機の飲み物はちょっとした贅沢。あんま、変わってないし、変わらなくても良いと思う。別に学校の伝統とかそういう意識高いことを言おうとしてるのではなく、もっと平凡なことである。別に、変わらなくても、良くね?っていう。軽いお気持ちである。奇声が聞こえ、一部は裸になる人もいて…僕は裸アンチなので絶対脱ぐつもりはない。これは断言できる。裸特有の風がナマの状態の肌に触れて寒い現象が嫌なのである。このせいで何回か風邪をひいて少々トラウマ。一部界隈は裸を強いるほどの圧力があるのだが、僕は敢えてああいうのに屈せず生きていくつもり。その方が楽しい。ノリに乗れてないとかそういうのはもはやどうでもいい。こういうノリに乗れない人を排除するような閉鎖的な共同体ではないのが僕の高校の強みかもしれない。強いていえば、ちょっと周りに乗る力がついたかも?これまで逃げてきた(というかやってこなかった)謎の奢りじゃんけんに初参加した。ぎりっっぎり生き残ってなんとか一本、ジュースを買ってもらった。実は財布の中に千円札すらなく、金を払えるかどうか怪しかったのはまた別のお話。

こんな文を書けるくらい、今日の日々は適度に充実して、時間が巻き戻っていた。まぁ、、、巻き戻ってはいけないのだろうし、ちゃんと大学の話もずーっとしたけど。話の内容だけが大学関係になって、あとは高校とそこまで変わらなかった。やはり高校コミュニテイは強い。

 

懐古感と違和感

———「きせい」だけで結構ネタができるもんだと感動したところで。

 前述の通り、高校の友達とすんごい話した。これだけで今日の日々はもう深いもんだ。ただ、一つ驚愕。みんなめっちゃ写真撮ってる。あれ、、、そんなに陽陽としたノリだったっけ?映えとか意識してるのだろうか?Instagramもみんなやってるし、やってるどころかどんどん怪しい写真を見せ合っている。恐ろしい話である。高校の適度な閉鎖感からの解放というのは、実は強大な力を持っていたのかもしれない。いくらなんでも日に照り過ぎている。こんなにノリって変わるものなのか。ただ、これが普通なのかもしれない。大学が人生の夏休みだとたまに喩えられるが、やはりそれは正しく、高校は夏休み前のテスト期間のようなものなのかもしれない。とりわけ、僕の高校のような(一応)進学校なら。そのノリについていくかと言われれば、少し距離を取りたい派ではある。眺める分にはちょうど良い、、、とも言い難いが、少なくとも不快ではない。ただ、自らが乗れるかと言われれば全然そんなことはない。

正直、違和感を感じたのはそれくらいで、大学の話はもうこれはこれはいつも通りであった。文化祭の準備の時、さんざんボカロの話をした時があったが、これの会話内容がちょうど各々の大学になった感じ。懐古感と書いたが、そんな意識は今思えばそこまでなかった気がする。これが普通で、懐かしいと感じることもない。そういえば、僕が高校にお邪魔して少し時間を潰し、本目的に行こうとしたとき最初に会った人がこれはこれは一番(ある意味)身近な人だったのに運命を感じた。高校で自習していた時にお気に入りの場所だった、外階段の下の流し台。ベンチもあり、スマホを置く場所もあるから、懐中電灯をつけて明るく照らしたままカップラーメンを水と共に飲める。座りながら。最強の場所だと勝手に認識している。そこの流しで水を飲んでたらなんか後ろにその人がいたのでそのまま話していた。高校から変わってはなかったが、大学生の姿が似合っていた。地味イケメン。モテるかは別問題。

 

ちょっと考える。戻ってるね、時間。ただ、この戻れる時間も今のうちかもしれない。もう酒が飲めたらいい歳になり、顔も大人らしくなる(というか今はもう成人しちゃってるけど)。高校生特有の若さと希望に満ちた感じ、子供らしいしょーもないけど楽しい話はいつまで、続き、できるのだろうか?高校の生活を思い出したり、思い出すまでもないほど変わってない時間はいつまで続くのだろうか?僕としては、いつまでも高校生らしき話はしていたいという思いはある。ただ、前を進まないと正直始まらないし、それは甘いだけのもんである。難しい話であるが、ノスタルジアが僕だけ許されるという現実は絶対起こり得ない。いつかこの日々も遠い遠い思い出になって、今のように高校生的な気分で話せることもなくなるのだろう。嫌だけど、友達含む全人類が逃れられない現実である。あんなに元気に可愛く(?!)付き合いしてた人(男)も、いつかは年季が入るもんである。まだ20歳前半まではギリギリセーフな気はするが、そこを超えるともう、、、ダメだ。大人として変貌したそいつを思いながら向き合うことしか許されなくなる。そういえばあまり人の写真を撮ってなかったことを思い出す。なんかやらかすのが嫌なのと、謎の恥ずかしさが生まれるからあまり撮らなかったのだけれど。スマホのアルバムに急にリアルの友達が現れるとすぐスクロールしたくなる。なぞの恥ずかしさが生まれる変な感情。ただ、これが致命的な傷を付けることも否定できない。若い姿を想像できないという最悪に。これへの最善な対処法は、大人のそいつとちゃんと向き合って受け入れ、「最悪」ではなくすることだろうけど。

だったら、少なくとも今の楽しみを存分に享受するのが一番かもしれない。後悔しなけりゃいいもんである。未来の不安は未来になったら考えることで、今は目の前の楽しみにのめり込むことにするか。

 

今日はここまで

そういえば群馬県出身のカミングアウト。いままでぼかしていたがそんなことしてもって感じ。別にやましいことは書いてないつもりだしね(・∀・)

ちょっと疲れたが、今は、”のちの”「非現実世界」を思いっきり楽しみ、入り込もうと思う。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。