僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

文化祭そのいち(体験談)

 僕の通っていた高校は、県内随一の盛り上がりを見せる文化祭があった。その文化祭の実行委員に所属していたのだが、実行委員活動は一言でいえば「楽しい経験と失敗まみれ」といえるだろうか。小中でははっきりいって独りが多かったし、せいぜい少人数でいた僕の転機となる、、、と言えるくらいには重要なイベントだと言えるだろう。

まずは備忘録ついでに。

はじめに

 実行委員に入ったきっかけなんぞ「なんとなく」である。楽しそうだから、なんか自分が変わりそうだから、、、という気楽なもんである。(実際これらの予想は当たっていた)

1,2年のころはとにかく先輩についていく感じで作業に日々勤しんでいたので、特に語るようなところはない。しいて言えば、一年生のころに高校の近くにあるスパゲッティ屋で辛いパスタを食わされたことだろうか。(恒例行事)

 

こっから本題。まだ平和

 僕の文化祭活動は三年生の四月から梅雨までで大半の濃さを占めている。なぜか...簡単に言えば、所属する班課のチーフ(リーダー?なぜチーフという語を選んだのか疑問)に選ばれたからである。

――忙しいの連続であった。 とは言いつつ、最初らへんはその忙しさもプラスにみていた。働くこと自体は全然いけるので、むしろ楽しかったとも言える。

僕の班は行事運営系の班の一つであり、(「一つ」というくらいなので、)ほかのイベント運営系の班とのスケジュール調整や、演出団体らとの時間調整、などなどで日々悩んでいた。あと隣の班といろいろおしゃべりもしていた。もとからの知り合いは少なかったが、明日の友達は居た、と言えるくらい、初めての人といろいろと話した。はっきりいってとても楽しかった、と同時に気楽であった。...正直ここまではまだ平和だったのかもしれない、「先輩とカネ」問題が来るまでは。

 楽しいとか書いてるし、充実してマジメに活動してるんだろうと思われたなら、それは誤解であると言って差し支えない笑。なにより僕の行動原理の根幹には「ま去年通りやれば大丈夫っしょ」という思想が常にあった。はっきりいって最悪である。余裕”ぶってる”だけであった。その結果...絶対失敗してはいけないといわれる、予算問題に直面した。

やらかした。

―そもそも、あんな企画は前年限りにしとけばよかったのかもしれない。

問題が起きたのは、我らが企画の一つ、すなわちeスポーツ大会(そろそろ身バレが危うい笑)。このeスポ大会だが、実は前年度にもあったのだが、大失敗に終わっていた。開会式時点で10人しか観客がいないという伝説をたたき出していた。(なお、椅子は何百脚もあったが。それがより空虚さを醸し出す。)それだけならまだ平凡な失敗企画なのだが、問題はゲームの内容、、、そう、まさかの格ゲー。誰も知らん、そんなもの。とくに”男子”高校の文化祭という女子高生をメインターゲットにすべき場においてワーストな選出である。当然最終的に残った人はごく少数。ちなみに、なぜ僕が二年のころの話をこんなに偉そうに語れるかというと、eスポ大会の話が僕ら後輩に全くと言っていいほど知らされてなかったからである。(もちろんその責任は何も聞かなかった僕ら後輩にもあるが。

 本題にやっと戻すと、僕はそのeスポ大会を黒い歴史とし、汚名返上するためにいろいろ考えて、ゲーム内容とかを決めていた。主に、地元新聞社のeスポ系の方と話し合って決めていたのだが、その時提出された費用が数万円ほど。

加えて、僕の班のメインイベントにかかわる照明・音響費で数十万円ほど(具体的数値は忘れた)。

「去年大丈夫だったしそんなもんか。で、用意された予算は、、、ん?全然足りないんだけど。去年の予算額と同じなのに。なんでだよ?」←一回放心状態になる

原因は前述のeスポ大会にあった。

eスポ大会は前年に初めて開催したのだが、その予算は正規の予算でなく、それに加えられた「寄付金」だったのである。(僕としては上に書いた予算の謎を先輩に聞いて初めて知った。)

 最初は、「くそ先輩が、早く言えよこのやろ。どーしろってんだ。」と完全に責任放棄していた。でもそんなことしたって何も生まれない。次第に冷静さ?を取り戻し、よく考える。「でも、一昨年はeスポ大会なしでかつ予算額もたいしてかわらないままで、それでフルで使ったんだよな、しかも新しいことも特にしてない。去年がおかしいだけだったんさ。もっと言えば早く僕が予算額を見直すべきだった。」

会計課の先生に話したりすると、なんとかまわりのチーフらに話したりして了解を得ればなんとかなるらしい。ただ、了解を得るまでに、eスポ協力会社の経費提出締め切りに間に合うか?そもそも説得なんてできるのか?資料、書ける?そして――素直に謝れる?(僕はとにかく謝るのが苦手で、それを理由に怒られるのも嫌い、悪いこと踏み込むのも無理な性格であった。正直よくないタイプってやつ。)

正直こっからの話はよく覚えていない。結局、なんとか資料を書いて説得することはできたのだが、予算ゼロでやる予定だった記憶もどっかにある。とにかく、その金の報告をeスポ会社にするかどうかのところでかかってきた一通の電話。「どうやら今回の協力は難しい。」

               すべてが虚無になる

もう終わった。僕のせいか、、、楽観視しすぎた結果よ。信頼を完全に失った。もうダメ、、、、、、余裕というベールは完璧にはがされ脆い心がむき出しになった。(実際、僕は、自信が強い人はいざ崩れた時に一気に落ちると思っている。その後の復帰の速さは人次第だが)

――それではいけなかった。当日までの時間は実はあんまり残されていなかった。

こっからは全員集合で話し合いである。予算ゼロでできるeスポは限られている。すなわち、スマホゲーム。今からでも遅くはないか、、募集をかけた。

 

ところで

 前述したことを覚えているかは不明だが、メインイベントは別にある。その準備もしなければならない。しかもそのメインイベントは装飾や出演団体との話し合いのほかに「実際に出演する」モノもあり、それの練習もしなければいけなかった。はっきりいってパンクしそうだった。今思えば高校生一人は重すぎたのかもしれない、、、(まあもっともっともっと重い班がお隣にいたのは別の話。)木をきったりいろいろしなきゃだ、色も塗んなきゃ、看板書かないと。。。

あ、あとeスポの募集は??

「1人」

 

本番まで

 実はeスポの募集に関しては結構気楽だった。ただ一人だとはね、、、。その後その一人に説得されて、ゲームを変えたところめっちゃ人が集まったのだが。僕ってセンスねえな...と思いつつ。

こっからは完全に夜までぶっ通しである。隣にいた班も別の作業場に移り、僕らの作業場は静かになる。寂しい。。。もう終わり、か。はっきり言って卒業式前日(!)の今でも、高校の文化祭に携われないのは寂しい。周りのメンバーが良すぎた。本当に良い人たちであった。

 結局これまでの懸念はある程度は解決されて、あとは本番うまくやるかにかかっていた。なんだかんだそうなるもんである。(でも美化はしちゃいけないね)

 

書くのつかれたここまで。一旦切りま

お読みくださった方がいたら誠にありがとうございました。

相変わらずの二転三転ですけどね、、、でもそういう勢いのある文のが僕は好き。

今現在の文化祭実行委員会がいたらとてもうれしい。別にどこの人でもいいから。

いろんな人の話を聞いてみたいな、、、様々な人生に触れるのって楽しいんだよね。