僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

文化祭への考察その3 

少子化って、高校の活動にも影響を与えると思います。当然ですけど、なんか盲点?

 

未来編 

 前回までは人としての姿勢や根幹の部分を考えたので、今日は未来の話を。完全なる僕個人の考えなのでまあ論理的に事故ってたりしたらそれはそれで。

どうしてもこういう個人の考えというのは経験によるものがあるので僕の高校の情報をあらかじめ書いておこう。その方が無意識に前提としていた事が現れて戸惑うこともないだろうし。(え!男子高の話だったのですか!的な困惑の防止)結構詳しいので多分その高校にいる人がみたらバレるが、まあバレて損することはないからよし。

☆場所は北関東。高校情報は前にも書いたけど、公立の男子校(結構絞られそう笑)。文化祭は県内随一の規模。だいたい1万人くらいだったか。開催時期は6月。一学年の生徒数は280人ほどで実行委員は100人いるかいないかくらいだったっけ。。。?実行委員というのはさらに細かく班や課に分けられている(グッズ担当やイベント運営系や人事管理や一般生徒の統括担当とか)。実行委員の人らは、とにかく忙しいとこは春休みくらいから土日とかで活動しているくらい。そこら辺の高校の運営委員とは比べちゃいけない()。さらに実行委員の班からひとりチーフが決まっており定期的に会議したりする。先生がいることもいないこともある。

先生はある程度は干渉するが基本的には生徒主体である。予算も使い道さえ記録すればこちらのもの(?)である。多いとこでは数十万円の金が動く。県の業者とかと頼む班も多い。というか県民、市民の協力で成り立っているところがかなり大きい。

 

時勢による変化は僕らの文化祭に好転を与えるか?

――進みすぎはよくない。一回、振り返ってみよ?

 僕らの文化祭はコロナによる超自粛ムードの時、一回開催が見送られた。テーマも決まっていたしほんとにぎりぎりまで迷ったうえでのことだったんだなと思っている。その後、校内限定で開催したり、観客を大幅に制限したり、時間帯を制限したり、、、。とにかくいろいろあった。そして去年は、それなりに人数を制限し、それ以外は概ねコロナ前と近い形になった。ちょっと感染症対策が厳しかったけどね(;'∀')

この今年の文化祭を”コロナ後”の新たなスタンダードとして、これからを考えていこう的な考えを持った人がそれなりに居たが、僕はちょっと違うと思う。

所詮コロナは一時の悲劇にすぎず、ちょっとしたら感染症対策ムードは元通り、なかったことになると思う。ただ、コロナ後の文化祭で大きく変わるだろう点があるのは確かである。文化祭のカタチが変わることにおいて、”持続可能性といった時勢の流れ”が主な原因であり、その時ちょうどコロナがぶつかっちゃった。という流れだと思う。(因果関係のあるところがずれてる)

変わったことというのは、「大量生産・大量消費からの脱却」「後処理の厳格化」とかが真っ先に思いつく。これだけ言えばよい方向にしか変わってないと思われるが、個人的には、「”大胆な文化祭”が失われた」という点も忘れてはいけないと思う。時勢が変わって様々なことに配慮しなくてはいけない現代において、羽目を外しすぎるのは不釣り合いといえる。近所迷惑だからうるさくしちゃダメ、夜は危ないから早めに作業は切り上げよ、とかいう注意の声によって、コロナ以前の昔の文化祭よりは小さいモノになってしまったことは否定できない。

――ただ、これも仕方ないのかもしれない。うーん、、、僕としてはとにかくデカいことをやりまくった昔の文化祭に戻ってそれを体感してみたいのだが、難しそう。というか当の”現代に生きる”、ある意味当事者の、僕が言うのは違うと思うが。

(この”現代に生きる人”というのは次のテーマで絡めることにする。)

こんなことを思っていると、あのような激しいモノにはいつか限界があるのではと思えた。それが限界に達してもう戻れず、どっかでブチ切れる前に、この時勢の流れに乗じて、コロナという機会を利用しつつ、見直すことができたのは幸運だったのかもしれない。衰退する前に、思い切って抑制してそのうえでの最大限を尽くすのは姿勢としては素晴らしいものだと思う。

 

熱が失われた原因に現代人の性がある?

――もっと体、動かそうよ

 ハッキリ言って、生徒の側の熱が失われたと言われても否定できない。...僕はなんだかんだ最後は真面目に頑張る系のちょい弱キャラを貫いた(無意識的か意識的かはわからない)が、そんな僕も熱は少ない方かも?

なんでかといえば、結局スマートフォンの台頭だろう。ああ、、、もうこんな現代評論は飽きた。そうだろう。自分もこういうアンチ先端技術的な評論はもう読み飽きた。

…でも実際そうかもしれない。スマホによって家の中の娯楽が増え、外に出る機会が減ったと思う。そのせいで体を積極的に動かすことに拒絶を覚える人が増えた気がする。みんなで遊ぶ必要もなく、娯楽が個人の問題にとどまることも増えた。これは完全に憶測だけど。それ以外の、たとえばサイアクな中学の部活環境とかで運動にトラウマを覚えたという、かなり悲しい事が原因な人も居たが、今回は別の話。(それはそれで心が痛む話である)もちろん秘めているナニカがある人は文化祭でいかんなくソレを発揮できるのだが、ぼーーっとしてた人は最初は中途半端になる(そんな人でもある程度変化できるのが文化祭実行委員の良いところだが、そもそも元から熱があるのが一番に決まってる)。

、、、、でも、どうなんだろうか。ここら辺は自分でもよく整理できない。なら書くなと言われそうだが、整理できないからってそれが無意味だとロックしてはいけない。なんとなくそう感じるのである。

うーん、、、うまく表現できないな。でもなーーんか、コロナ前の熱のある文化祭実行委員メンバーと今の人らは違うとこがある気がする。。。あとは、実行委員を志望する人が少なくなったことだろうか。それこそ、アンチ労働・過剰な個人主義による?とにかく、文化祭というものに非協力的というか、興味ない層が現れたことは確かだろう。

そして僕ら実行委員側としては、彼らを蔑むことはだめである。彼らを蔑んで強引に連れ出しても悪い印象を与えるだけだし、文化祭への彼らが持つイメージは悪化する。

そう考えると、彼らの意識をうまく変えることがまず大切なのかなと思いつつある。

そもそも実行委員を志望する時点でかなりのやる気の持ち主だもんね。

 

今日はここまで

未来編。もうちょっと書くべきこともありそうだが、、いったん。

今日はいつも以上に書くのが難しかった。文章も拙いだろう。(前回も言ったか?もしそうなら、記録更新。)ただ戦から退いた僕らにとっては、未来が輝くことを祈るのみ。干渉しすぎては、OB(⇒大きいだけのバカ)になる笑。

こんどはちょっと調子乗って趣味の話したい。ミクさん、出番ですよ!

誤字が多かったらごめんなさい。ここまでお読みくださりありがとうございました。