僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

高校生より前の記憶

思い出補正でも美化されない恐ろしさ。

もっと前の話を

誕生日記念。成人した。

高校生の話はめっちゃしてる割に小中の話はあんましてないので、ちょっと思い出しながら書いていこうと思う。

決して黒い歴史だけではないが、それでも嫌な思い出というのはあるもんである。高校の頃は全然なかったけど、胸を痛める経験がそれなりにあった。

この僕の人生に思いをはせてみてください。想像するだけでも楽しいもんですよ。(あくまで僕はこういう営みが好き。他人の人生を想像するのは楽しい。)

 

小学校時代

1~3年の記憶はほぼない。しいて言えば小3の担任の先生の倫理観がなかなかにヤバかった所だろうか。

あ、、、思い出した、、、。

小3の頃の音楽の時間。担任が授業を担当していたのだが、ほんとに嫌な記憶が一つある。

歌を歌う授業で、担任が「歌う態度が悪い人がいる」って言って、その悪い態度を真似して、笑いものにしていた。それだけでも酷いのだが、その後、なんというか”隠す気のない言い方”で、その態度が悪い人の名前(っぽいこと)を言っていたのである。たとえるならば、その態度が悪い人が「山田太郎くん」なら、担任は「Y田 T郎くん」みたいな感じで言った。当然、笑いものにするためである。

勘の良い人ならわかるかもだが、、、その名前のひとつに僕のがあった。

実はその前の悪い態度の真似の時点では僕も笑っていたので、まさか自分の話だとは。衝撃を受けた。それに、これでも僕は優等生のつもりでいたので、そんな悪い態度をした記憶もなく、、、とにかくその名前が言われて笑われたときは恥ずかしさでいっぱいであった。と同時に今思えば笑ったことに関しては少し反省。

確かに態度が悪かったのはこちらの責任だが、今思えば最悪な奴である。その後、授業参観で、身体に障害を持った人を笑いものにしていたし(これについては僕の親が連絡帳に書いて抗議した。ありがとう。)。翌年なんか教師育成の学校みたいなとこに送られた。残念だが当然ですね笑

 小4あたりから記憶がよみがえってくる。僕のクラスはなぜか問題児が集められていて、学級崩壊的なことも起きていた、、、気がする。そこまで崩れ落ちた感じでもなく、ある程度の平和は保たれていたが、たまにそのヤバい奴が暴れることもあった。

そのヤバい奴と僕はある程度話す仲でもあっただけに、なんともいえなかった。

担任の先生は非常に厳しかったが、思いのほかカードゲームとかエアガンのような、クソガキの玩具問題になりがちなおもちゃにも真っ向から否定せず、ある程度の許容はしていたことが印象に残っている。お誕生日会みたいなこともして、一か月に一回お遊びの時間もあったし。ただ、とにかく怖かった。学年単位の授業(?)の時で担当だったとき、やけに自クラスに厳しかった。(あるあるな話か)でもそこまで嫌われていた雰囲気は感じられず、なんだかんだ良い先生だったと言える。

あと、小4の時、急に一人友達ができた。図書館の都市伝説本を読んで実際にトイレの花子さんを見に行こうとしたりとか、、、。全く、子供時代の青春ってやつである。その友達はその後他の学校に転校してしまった。一時だったがあの時の楽しさはかなりのもの。

 小5はとにかく明るいクラスで、担任の先生が一学期あたりに1,2回ガチギレすることをのぞけばとても楽しかった。面白い友人の話をしていた気がする。少々理想押しつけがちな陽タイプで、静かで真面目でマイペースな人にはやけに厳しかったが、僕はあまり被害を受けなかったのは幸運か。

 小6は担任とか僕のクラスよりとにかく教科担任の記憶が深い。まず、その年新しく入ってきた音楽の先生が癖強かった。ヒステリックババアとは全く違うし、基本的には面白いのだが、怒るととにかく怖い。恐ろしい先生。多分部活ではくっそ厳しいタイプ。その先生は、今ほどジェンダー関連が話題になってなかった当時でも、差別が嫌いと言って男子にも「○○さん」と呼んでいた。先進的ともいえるし、流れにのっかっただけの奴ではなくちゃんと本心からそういう思想を持っていたともいえるだろう。僕はこの考えには否定的だが。僕は最初の授業で少々怒られたが、基本的には真面目に授業を受けていたのでいつのまにか好かれた。思えばかなり良い先生だった。

社会の先生はもともとどっかの会社で働いていた経歴の持ち主であり、非常に雑談が興味深かった。授業自体もなかなか面白かったが、とにかく社会経験してる感が強かった(?)。話自体は細かく覚えていないが、差別と区別は違うよ、とか小6には早いが知っておいたほうが良い話題を取り扱っていた。僕のクラスのある女子が「第二次大戦の日本軍大っ嫌い」って言っていた時、「いや、いろんな視点があるからね」みたいに返したという記憶もある。(うろ覚えだが、よくある偏った奴みたいに、猛烈に反対・賛成するのでなく、冷静に対処していたことは確か。)当時はよくわからなかったが、旧日本軍の行動の是非の議論を知った今では、先生は最高の対応をしていたんだな、と思った。あと非常に巨漢なのに家庭科も担当していた。

 

 僕自身についていえば、小学校高学年になってすこし尖りをみせたくらいで、それまでは真面目に生きていた。怒られるのが大っ嫌いだったせいかもな。よくない理由である。友達は居ないわけでもなく、まれに一緒にゲームしたりもした。ただ、家庭環境上、放課後は児童館直行であった。児童館はなかなかに楽しかった。ドラえもんの漫画がずらっと並んでいた事には感動したな。割と下の学年の子とも遊んだし。(舐められたけど、それは愛されたとも言える、、、よね?)

下ネタとか全然詳しくなく、そういう系の話には疎遠であった。そもそもそういう話をしていた人が居た記憶すら僕の中にはない。一人では結構ゲームをやっていた。といっても基本的にはメジャーなもの。switchも小6のころから使ってるっていうね。

 

中学校時代

――部活選択は一大イベント?

 中学の記憶は割と濃い。そして嫌な思い出も割と多い。

中1の頃はもう不穏な流れが出ていた。担任の先生は癖強系の個人的には好きな人であったのだが、、、

僕と隣の人が、少ししたら学校来なくなったのは残念だったな。その後その隣の人の話をしているところに入ろうとしたら「君は来ないほうが良い」って言われて、僕が原因であることを見事に確定されたし。そんなもんか、つまんない奴は、、、。

そこから派生される「真面目なキャラへの嫌悪」は、割と危ない考えであると思う。正直今の非常にチー牛だとか陰キャがネットで弄られている現在、彼らにつけられがちな「真面目なやつ」「優しいやつ」という称号はもはや嫌われる対象になり、つまんないと思われている...と思った瞬間、尖ろうと決意してしまう。下ネタを言ってみてたり、悪口を言ってみたり。昔の僕である。その結果僕はアクセル・ブレーキの加減がわからない+真面目キャラが急に変なこと言った事による面白さ+自身の弱さによる反撃可能性の低さ により、下ネタをポロっと言ってしまい、不名誉なあだ名をつけられた。

はっきりいって絶望に近かった。弄られてるだけマシだと、段々思えるようにはなったのだが、最初の頃は本当に悲しかった。ストレスものである。まさかいっこ爆弾発言したせいでそこまで引っ張るかよ、ってね。今は笑い話に昇華させた。

部活について。僕は、「スポーツできない絵書けない料理できないでも無所属は嫌だ」という奴らが集まる、サイアクの部活、、、すなわち科学部を選択してしまった。こっからはもう楽しいけれども熱があるとはあまり言えない、中途半端な部活生活の始まり。今思えばバスケ部あたり入部しても面白かったんだろうけど。でも小学生の時点で運動センスは微妙だったから、、どうだろうか。(前も書いたかもしれないが、顧問がクソすぎるせいで、運動部入ったものの運動そのものが嫌いになって家に引きこもりがちになってしまった人を見ただけに、本当に部活は人生を左右させうると思う。部活のせいで運動嫌悪になるなんて、本当にひどい話である。)

消極的に部活を選ぶと絶対後悔する、とだけは言えるだろう。

 

 中2の記憶はあまり深くは書けないかも。しいて言えばズボン下げられたことがそれなりにあったことだろうか。やっぱそういう奴らって、被害にあうマジメ系の人の反応を見て楽しんでいるのか、それともそのような無様な姿を女子に見せて女子とそういう人を離そうとしているのか、いまいち目的が分からない。多分女子に注目されてもらいたいのだろう。そんなことしてついてくるのは人を虐めて笑うような残念な奴だけどね、多分。まあそいつらが成功しても僕はそれ以上に(自分の中で)成功すればこちらの勝利である。そんぐらいのメンタルは高校で身に着けたぞ僕は。

あとは、、、担任の先生が、教師のわりにメンタルがかなり脆かったことぐらいか、覚えているのは。

 中3あたりはコロナもあってかあまり思い出というものはない。、、、と思いきや、なんか知らんけど学級委員長になった。学級委員を選ぶとき等に特有の、誰も手を挙げないで話が進まない雰囲気が大っ嫌いなので、思わず僕は手を挙げてしまったが、それが地獄への入り口だった。そういう時に限ってじゃんけんに負け、見事に学級委員長決定。弱気な僕がクラスを指揮することもできず、、、学級崩壊はしなかったが先生には何回か注意された。ほんとに申し訳ないとしか言えない、、、が僕のリーダー適性が良い方向に変わったのかは不明。結局相性次第なんだよ。この時も弱かった自分はちょいちょい舐められた。ほんとに、あの高校に入れてよかったと実感する瞬間である。あのままだったらサイアクな人間ができる。

 

ここまで

いったん切るか。ちょっと書きすぎた。