僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

ボカロばなし

ボカロこそが人と機械の共存の最高形態。

 

趣味の話

 趣味の話は書いてて面白いが、ガチ勢が来たときに厄介なことが起こる。僕のようなそれなりの知識がある人が思想をばらまくと、もっとガチな奴らが痛烈に反論するということが起きてしまうのだ。エンジョイ勢に割り込むガチ勢のような感じ。まぁとにかく、書くことは僕にとっての快楽の一つなので気にしすぎる必要はないのだが。

 

ボカロとの出会い

 中学2年の2月下旬、僕の人生が一気に華やかになったあのコロナ休校期間に、生活を色づけたものの一つがボカロである。ボカロ自体は、千本桜や六兆年と一夜物語といった有名曲を知っていたのでそこまで疎遠ではなかったが、逆に言えば超有名曲以外は全く知らなかった。そんな時、YouTubeで流れてきたボカロメドレーを見た。まさかこれで人生が大幅に変わることになるとは当時は思いもしなかっただろう。

――綺麗。心に来る。中二のココロにはグサッときた。さすがはボーカロイド(の作曲者?)、みんなハマるくらい緻密な計算がなされているのだろう。

その後はそのボカロメドレーを何回か聞くことになった。プロデューサー名もわからないままだったが、それでも良い曲なのには変わりない。知らないけど、なんか良いなって感じ。僕が最初に出会ったボカロメドレーは2018年ごろにできたものであり、ボカロを聞く人がニコニコからYouTubeに移ってそれなりの期間が経った頃の曲が多い。すなわち、プロ並みのPVと人間味のある声質の曲がメインだった(シャルル、劣等上等、誰かの心臓になれたならetc)。ちなみに、今はその時代の曲はあまり聞かなくなってしまった。

 メドレーを聞き漁った後は、メドレーの曲を直接検索してフルで聞いてみたり、関連動画から新しい曲を聴いたりもした。カゲロウプロジェクトにハマったのもこのくらいか。暇なあの時に読書はうってつけであった。カゲロウデイズの小説は全部読んだが、あまり意味はよく分かってない。一番強く心に残っているのは、最終巻の夏祭りのシーンか。

家のTVが新しくなって、大画面、大音量で曲を聴くのも楽しかった。れるりりさんの下ネタ曲や、Neruさんの深夜テンション曲など。やはりPVの上質さには心を打たれた。こんなイラスト描けたら良いな、、、。

 

ニコニコへの移行

 YouTubeで、少々古いボカロメドレーを聞いた。まだメルトや炉心融解すら知らなかった僕にとって、古い曲に違和感を感じずにはいられなかった。動画が古い。あまり絵のタッチが好みでない、、、。ただ、コメント欄を読んでみると、あの頃はよかったなどといった懐古厨が蔓延っていた。僕も昔の曲を聞いてみようと思い、加えて、ボカロといえばニコニコらしいのでそっちで見ることにした。

...いまいち、最初ニコニコでお古なボカロを聞いた感覚はあまり覚えていない。ただ、今でもYouTubeよりニコニコでボカロを聞くことが多くなったのは事実で、いつの間にかニコニコという媒体が好きになっていたのだろう。なんか、2010年±の、懐かしい空気感。ネットも適度に汚くて、いわゆるオタクの男性がいっぱいいる。でも、何か愛を感じる。「お前ら」と言われてみたくなる。洗練を受けてなくて、自由だったのだ。まぁいまも創作は健全で自由だけど、なんか売れてみたさ前面のガチガチPVをごり押すわけでもなく、ただ聞いてほしいと思える感覚...。僕もこの全盛期に触れてみたかったなと今でも思う。

 ニコニコに移行してからは、Deco*27さんの曲(当時はGUMIさんも使っていた)や、トーマさんなどを聞いた気がする。あの時に強かった人たちって感じ。彼らのは、2018年くらいの若者曲とはちょっと違った、でも中高生に響く若者曲って感じ。kemuさんも結構聞いたが、あのPVは当時にしては強すぎる。今でも通用する素晴らしいイラストである。イラスト作者(?)のハツ子さんは、初めてボカロのPV絵師で気に入った人で、PV絵師から曲を探すという少々御法度なこともやってのけたほど。もちろん、その絵師が携わっている曲もいい曲が多い。このおかげで、ゆちゃPを知った。今でも彼の曲はそれなりに聞いている。

 

超偶然の出会い

 僕は、好きな曲をランク付けすることはできない。好きだけでも、色々な副詞がつくと思っているからだ。例えば、明るくて好き、洗練されていて好き、リズムが好き、、、など。これらの好きに優劣はつけられない。でも、色々な曲でも特にこれ良いなって思うことはないこともない。さらに、これから書く気に入った曲は、出会いは偶然である。関連動画を眺めてたらいつの間にかみつかったというものでもない。

1.moon (iroha)

 かなりボカロに精通している人ならirohaさんの代表作はぱっと出るだろう。炉心融解である。初めてこの曲を聞いたときは、何やら不思議な感じがした。どうしてこんな歌詞を思いつくのか、どうしてこんなメロディを生み出せるのか。謎すぎるし、意味もよく分ってないが。綺麗な曲。個人的に一番好きな部分は、イントロ前の最初のピアノ。

まあとにかくこのirohaさんの曲のひとつ、moonだが、僕がこの曲と出会ったのは、上に書いた炉心融解のPV作者による解説動画である。そもそもその解説動画自体、有名なものでもなく、ただ概要欄にあっただけなのでせっかくだから見てみようと思っただけである。古のネットのノリと、最近のクソガキ少年少女のコメントも少なくて、なんか好きな動画。この動画の最初に、moonが流れていた。最初に聞いたときは、昔のテクノポップ感にある種の懐かしさと温かさを感じた。その後検索して、実際にフルで聞いてみると、なんと良い曲だろうか。歌詞は変にひねってなく、心にそのまま入っていく。なにより、テクノに満ちた裏の音楽が素晴らしすぎる。調べてみると、リリースしたのは2007年だったか、ボカロの超初期である。これなら納得。懐かしい理由もわかった。再生数は100万を超えておらず、知る人ぞ知る神曲って感じだろうが、もっと伸びてほしい。

2.unfragment(鼻そうめんP)

P名が変すぎるが、動画では略された「HSP」なので安心。

この曲とは、てきとーーに流したボカロメドレーに現れて出会った。ニコニコでボカロを一曲一曲聞くようになってから、メドレーはもはや作業用にすぎなかった。これも、部活か何かで絵を描いているときに流したもの。メドレーで知らない曲が現れるとちょっとテンションが上がっていたのだが、この曲だけは何か違う。ほかのなによりも美しい。メロディーが透き通っている。初音ミクの声が響いている。そして、これはフルを聞いた後わかったが、2番のサビが流れた。裏のメロディーはほぼ消えたかと思ったら、ピアノが響いている。そこに初音ミクの声が響いている。ピアノの壮大な音と、初音ミクの声、、、。はじめて、曲を聞いて鳥肌が立った。「なんだこの曲!?!?!?神か!?」絵を描いている手を止め、すぐさま検索して、フルで聞いた。動画時間8分はまだ気付いておらず、全部聞いた。前奏からまず美しい。そこに響く初音ミクの声が入っている。1番のサビは2番と違って、裏の音楽もしっかり流れており、これはこれで良いのだが、フルで聞いているときの2番のサビの美しさはもう最高である。2回聞いても鳥肌が立った。

この曲はいわゆるトランス系で、長い長い前奏と後奏、一定のパターンの7繰り返し特徴的。でも、こんなに美しいものはあまりないらしい。だいたいは深夜の車でガンガンに流して道路を猛スピードで走る人が聞く類のものだそう。

unfragmentを聞いたら、もうHSPのファンであった。ほかにも様々なトランスミュージックを聞いた。インカ―ネイションという曲も美しい。ただ、彼の曲でニコニコでミリオン達成しているのはunfragmentのみ。やはり一番二番といった定番構成で、聞きなじみのある構造だからだろうか。

 

今日はここまで

やはり打つ手が早い。楽しいなこういう話。

次はもう少し時間を進めて、今、高校(卒業)生の僕とボカロの関係、加えてボカロの考察もできればなと思う。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

受験終了。

このイベントに参加できただけ幸運です。

 

後期受けた

京都は残念。北海道大後期を受けた。

羽田空港から飛行機に乗ったのだが、やはり飛行機の浮遊感はあまり好きではない。サービスは良質なんだけど、、、。最後に乗ったのは小六の頃だろうか。星野リゾートトマムに行った記憶がある。なんか古びてて何とも言えないホテルだった。ホテルよりそこへの長い長い高速道路の方が異国感があって楽しかった気がする。

まぁとにかく、6年ぶりの飛行機はやはり緊張した。でも、6年前よりサービスが快適だった気がする。席に一つ一つモニターがあるなんて!やはりスマホに囚われた現代人にとって、機内モードを強いられることは想像以上の苦痛であるのだ。そんな中でバラエティー番組とか見られるのは嬉しいものである。

新千歳空港に着陸してのち感じたのは、天気の違いである。さっきまで晴れてたのにいつの間にか地面が白くなっている。これが雪国か、、、。第一志望に落ちた後に見る雪景色には何か感じるものがあった。

 

北の大地の首都、札幌にて

 まず感じる。雪が積もりすぎ。どこ見ても雪。そして、キレイに雪かきをした跡が残っている。やはり道民にとっての雪かきは日常になっているのだろう。僕にとっての非日常が向こうの日常化と思うと、やはり北海道、北の国とも言ってよいほどの異国である。

 ただ、札幌の都会感は少々微妙。人通りが多いとも言えず、ビルは建ってるもののいまいち人通りが少ない。北関東の地方都市でさえ、もっと居る。札幌駅を歩くと、その秘密がわかった。そうか、外は寒いから地下街を発展させたのか、、。さまざまな飲食店やどれも同じに見える服屋が並んでいた。人通りもなかなかのものである。道民にとってのメインストリートは地中にあるみたいだった。しかし、地下街の一部は工事中で、非常に無機質な空間があった。怪しい雰囲気漂い、八番出口てきな匂いもあった。こういうの、僕はとても好き。

 けれども、やはり僕が好きな北海道は、札幌の時計台的な異国の都会ではなく、内陸の長い長い道路や線路と、大自然と、永遠に仮設のような駅ホームあふれる未開拓地なのかなと思う。北海道は大きいことが誇張されすぎだが、むしろ自然を前面に押し出すべきだとは思う。北海道を本州に重ねる芸は見飽きた。

 

北海道大学に潜入

道民の大小感覚は狂っている。大学が広すぎる。しかも、たいして密度があるわけでもない。横に平べったい感じ。はっきりいって移動は苦痛であった。しかもこの広さは雪国ではさらに痛いものになるだろう。...京都みたいな温帯地域はよいが、あんな雪しかない所で自転車を使う事は確実に不可能なのである。移動は歩きまたは車くらい。北海道に入ったからには車を買うのはほぼ確定か。

北海道大学のみためにはあまり面白みがなかった。京都大や早稲田大の時計台みたいな壮大な建築物もなく、東京理科大のような都会らしきビル群もない。ただ広いだけ。やはり偏差値面ではだいたい下位なので、何かしらで日本一を取りたかったのだろう。実際、農業系は北海道という環境は適切だろうし、一概に広いというのは悪い事ではないと思うが。

試験当日、構内に入った。天気にもよるのだろうが、京都大よりも全体的に薄暗かった。天井の蛍光灯が照らす建物内は、明るい所と暗いところがはっきりしている。少し古い病院みたいだった。事実、建物自体は(京都もそうだが)古びている。やはり国公立大にお金はないみたいだ。

 

受験の終わり?

 北海道大で最後の試験が終わったら、もう今後試験は無いと思われるので、これが受験勉強の終着点となった。ただ、僕としては、大学入試は所詮大学に入るための通過点でしかないと思うので、ここでスイッチをoffにしてはいけないなと思ってる。「ゴールの先に新たなスタートライン」である。(某ジャニーズの曲の歌詞)ただ、受験産業というのは個人的にやる側より指導する側の方が楽しいと思うので、塾のバイトとかやってみて、もう少し受験勉強(の勉強?)をするかもしれない。受験参考書なんて学問の書物だもんね。急に失効するわけでもないし。

 こっから合格発表まではなかなかの時間があり、さすがに今ばっかりはだらーーーーっとしていたいけれども、ただ、せっかくの空いた時間はいろいろなことに費やしたい気もする。読書もいいし、プログラミング系でも良いし。触れる経験って大事ですよね。遠いとこ行くのも全然あり。幸いにもお金はそれなりにある。ここでいかに過ごすかで人生の豊かさが変わる気がする。というか受験勉強も学歴の人生、人間の一部分にすぎないと思っているので、これまで勉強にしか価値を見出していなかった生活からは早めに離れるべきだろう。机に向かってシャーペンとボールペンを動かす生活は終わったのだ。こっからはより自主的な行動が求められる。自由だからこそ、、、。

 

今日はここまで

 ひと段落着いたのでてきとーーーに物書きする時間も増えた。そろそろ趣味の話を書こうかな?受験の記憶もちょっとくらいは書くかな?ただ、結果が求められるこのご時世で、不合格した人の入試対策の価値は格段に下がる現実もあるけれど。だけど不合格といえども別の某大学に受かった時点で、ある程度の実力を見せつけることはできたはずだよね?

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

じゅけんばなしの枝葉

まぁ明日が合否発表の日なんですけどね

はじめに

 はっきりいって今日は薄い話。初音ミクさんはもうちょっと引っ込んでもらおう、ほら、ネギやるから!

あえて二次試験受けてから合格発表までの記録を書いていこうと思う。勉強してた時の記憶なんぞなかなかにしみついているから今書く必要はそこまでない。むしろ二次試験前期終了してから合否発表までの数日の記憶の方が貴重な気がする。

 

虚無。虚ろ。空白。透明。

 これまでの勉強生活からわずかに開放された僕にとっては、正直空っぽな日々を送るのも嫌であった。YouTubeばっか見て寝てゲームしてなんて日常、昔はあれほど憧れていたのに今となっては中身がない。やはり友達の存在は大きいものだ。今友達に気楽に話しかけられる程のメンタルはない。まぁ、死ぬほど優しい人になら遊びに誘えるが、普通の人は今は合格か不合格か緊張しながら、プレッシャーに耐えつつも独りで遊んでいる、という感じだろう。そんな時に気楽な奴が話しかけてしまっては、、、どうなるだろうか。僕はそこまで大学受験という行事を重く見ていないので大丈夫だが、全力を尽くして疲弊している人にとっては、今は一人で遊び耽っていたいものだと思われる。

 まぁとにかく中身のない日々は嫌だったので、僕は、時間があったら行こうと思っていた場所へ足を運んだ。図書館である。

 

意識高い系の感覚

 図書館といえば、塾や学校が遠いし家では怠けるからという理由で自習する人や、日常に豊かさを加えたい年金暮らしの方々や、愛しのブラックコーヒーに裏切られてうつらうつらしている勉強屋が多くを占める。そう、図書館は意識高い系の集まりなのだ。その中に入ってみた僕も、なんか頭の良い人のような感覚がする。賢そうだ、今の僕は、、、。

 

娯楽を得たい

見出しつけるほどでもなかった短い前の章は置いといて。

 僕のお目当ては小説である。僕は理系人間で、高3のころは小説を読んで楽しむのには罪悪感がある、というので本を読まないでいた(その分はもちろんスマホに吸収された)。ただ、受験が終わってからは、なんか小説を読みたいなぁと思っていたのは事実。とにかく前評判とかなしに、ただ寒いだけの本の帯やカネの匂いしかないポップから離れて、見出しと少しのあらすじだけで読書の世界に入り込みたかった。その点では図書館は素晴らしい。うざったらしい宣伝文句などなく、本しか置かれてない。こういう洗練さが僕は好き。

 とはいいつつもどうしても商売文句に気になってしまう僕は、「これを読まない人生があると思うと恐ろしい」と囃されたある一つの小説を借りた。今はまだ読んでる段階なので多くは話せないが、僕のココロに刺さる内容ではある。

 

 僕は、ゲーム少年ではあったものの読書自体は嫌いではなかった。小学生高学年当たり向けの文庫本や、中高生向けのライトなノベルも、一時期好きだったドラマのノベライズも読んでいた。ボカロ好きの僕としては、カゲロウデイズも外せないが、あの話はあんまよくわかっていない。

 小説を読むと、なんか心が不思議になる。いつの間にかある登場人物を好きになってしまったり、人物が生きているとわかると心なしか安心し、長い長い物語が終わると少しぼーっとして「あ、終わったんだなぁ、、、。」と思ったり。

その不思議な感じがとても好きなのである。小説に惹かれる理由はそれで、教養のための新書では全く刺さらない。まぁ、大事なんだろうけどそういう教養も。でも、娯楽としての読書を求める僕は小説だけで十分だ。

加えるならば、僕が他者の思い出をきいてその人の人生に思いを馳せる事が好きなのも、小説という、新しい世界との出会いの場を好む事に惹かれる理由としては真っ当か。新しい、というのはそれなりに重要な要素かもしれない。小中で知り合った人の思い出話はなんか物足りない。小中は全く別の場所にいて、高校である程度仲良くなって性格もわかってきた頃合いに、思い出話を聞いて勝手に想像するのが僕としては好きなのだ。小説も、ある程度人物描写がなされて性格や背景が分かってきたころに、回想シーンがなされていくので、やはりその時に僕が脳内でいろんなイメージを膨らませ、楽しんでいるのに違いない。

 

いったん受験的なことに

 まぁ、図書館ずーっといるのはそれはそれで駄目である。後期試験というものに出願してしまったからには、そこの過去問もやらなければいけない。

一回ブレーカーが落ちると、その後の復旧には少々時間がかかると前もって感じていたので、僕は毎日少しは勉強することにした。少なくとも、過去問の少しは。このおかげで入試問題と立ち向かうにあたる勘はあまり衰えてなかった。あぶないあぶない。

僕は前期で京都大を受け、後期は北海道大学に出願した。はっきりいってもう受験なんてしたくない、、、。まぁでも、最後の旧課程現役戦士、と捉えればカッコいいと思えるが。最後のダイエー戦士・和田毅みたいなカッコよさ。浪人は個人的には反対だが、この現役時代で、最後まで戦い抜いた人は面構えが違いそうな気がする。

ちなみに、私立第一志望の早稲田で死んだ僕としては、後ろ盾の東京理科大学とかいう監獄に送られるのは御免なので、仕方なく勉強している。一方そのころ、同じく京都大を受けた友達は、今頃女子を口説く言葉を少し考えているらしい。きっと都会のエスカレーター上ってきた上級の奴らに金と顔とセンスで負けてあえなく散るだろう、今は放っといた。まぁでもフラれる経験をしろと某予備校教師が仰っていたし、とりわけ男子高生の僕らにとってはそういう恋愛経験も大事なのは確かである。僕も一生独身はつまらないと思う。ただ、、、羽を伸ばしすぎて新宿歌舞伎町でばったり倒れる人になる未来がうっすらと。ああなったらもう終わりである。

 

今日はここまで

なんだかんだずーーーーーっとスマホ弄ってるリバウンド勢よりは有意義な時間を過ごしたつもり。さっきまで血眼で勉強してた人が急に社会的弱者のごとく家で独りスマホを弄って横になっているのだ。堕落しすぎである。

いったん合否発表を待つ。明日の正午。合格か不合格かは全くわからない。ただ、どっちの未来であってもすんごい落ちぶれることはないだろう。それだけで僕の大学受験は平穏無事に終了である。この後は新たなスタートラインを勢いよく飛び立つだけだ。

 

 

高校生より前の記憶

思い出補正でも美化されない恐ろしさ。

もっと前の話を

誕生日記念。成人した。

高校生の話はめっちゃしてる割に小中の話はあんましてないので、ちょっと思い出しながら書いていこうと思う。

決して黒い歴史だけではないが、それでも嫌な思い出というのはあるもんである。高校の頃は全然なかったけど、胸を痛める経験がそれなりにあった。

この僕の人生に思いをはせてみてください。想像するだけでも楽しいもんですよ。(あくまで僕はこういう営みが好き。他人の人生を想像するのは楽しい。)

 

小学校時代

1~3年の記憶はほぼない。しいて言えば小3の担任の先生の倫理観がなかなかにヤバかった所だろうか。

あ、、、思い出した、、、。

小3の頃の音楽の時間。担任が授業を担当していたのだが、ほんとに嫌な記憶が一つある。

歌を歌う授業で、担任が「歌う態度が悪い人がいる」って言って、その悪い態度を真似して、笑いものにしていた。それだけでも酷いのだが、その後、なんというか”隠す気のない言い方”で、その態度が悪い人の名前(っぽいこと)を言っていたのである。たとえるならば、その態度が悪い人が「山田太郎くん」なら、担任は「Y田 T郎くん」みたいな感じで言った。当然、笑いものにするためである。

勘の良い人ならわかるかもだが、、、その名前のひとつに僕のがあった。

実はその前の悪い態度の真似の時点では僕も笑っていたので、まさか自分の話だとは。衝撃を受けた。それに、これでも僕は優等生のつもりでいたので、そんな悪い態度をした記憶もなく、、、とにかくその名前が言われて笑われたときは恥ずかしさでいっぱいであった。と同時に今思えば笑ったことに関しては少し反省。

確かに態度が悪かったのはこちらの責任だが、今思えば最悪な奴である。その後、授業参観で、身体に障害を持った人を笑いものにしていたし(これについては僕の親が連絡帳に書いて抗議した。ありがとう。)。翌年なんか教師育成の学校みたいなとこに送られた。残念だが当然ですね笑

 小4あたりから記憶がよみがえってくる。僕のクラスはなぜか問題児が集められていて、学級崩壊的なことも起きていた、、、気がする。そこまで崩れ落ちた感じでもなく、ある程度の平和は保たれていたが、たまにそのヤバい奴が暴れることもあった。

そのヤバい奴と僕はある程度話す仲でもあっただけに、なんともいえなかった。

担任の先生は非常に厳しかったが、思いのほかカードゲームとかエアガンのような、クソガキの玩具問題になりがちなおもちゃにも真っ向から否定せず、ある程度の許容はしていたことが印象に残っている。お誕生日会みたいなこともして、一か月に一回お遊びの時間もあったし。ただ、とにかく怖かった。学年単位の授業(?)の時で担当だったとき、やけに自クラスに厳しかった。(あるあるな話か)でもそこまで嫌われていた雰囲気は感じられず、なんだかんだ良い先生だったと言える。

あと、小4の時、急に一人友達ができた。図書館の都市伝説本を読んで実際にトイレの花子さんを見に行こうとしたりとか、、、。全く、子供時代の青春ってやつである。その友達はその後他の学校に転校してしまった。一時だったがあの時の楽しさはかなりのもの。

 小5はとにかく明るいクラスで、担任の先生が一学期あたりに1,2回ガチギレすることをのぞけばとても楽しかった。面白い友人の話をしていた気がする。少々理想押しつけがちな陽タイプで、静かで真面目でマイペースな人にはやけに厳しかったが、僕はあまり被害を受けなかったのは幸運か。

 小6は担任とか僕のクラスよりとにかく教科担任の記憶が深い。まず、その年新しく入ってきた音楽の先生が癖強かった。ヒステリックババアとは全く違うし、基本的には面白いのだが、怒るととにかく怖い。恐ろしい先生。多分部活ではくっそ厳しいタイプ。その先生は、今ほどジェンダー関連が話題になってなかった当時でも、差別が嫌いと言って男子にも「○○さん」と呼んでいた。先進的ともいえるし、流れにのっかっただけの奴ではなくちゃんと本心からそういう思想を持っていたともいえるだろう。僕はこの考えには否定的だが。僕は最初の授業で少々怒られたが、基本的には真面目に授業を受けていたのでいつのまにか好かれた。思えばかなり良い先生だった。

社会の先生はもともとどっかの会社で働いていた経歴の持ち主であり、非常に雑談が興味深かった。授業自体もなかなか面白かったが、とにかく社会経験してる感が強かった(?)。話自体は細かく覚えていないが、差別と区別は違うよ、とか小6には早いが知っておいたほうが良い話題を取り扱っていた。僕のクラスのある女子が「第二次大戦の日本軍大っ嫌い」って言っていた時、「いや、いろんな視点があるからね」みたいに返したという記憶もある。(うろ覚えだが、よくある偏った奴みたいに、猛烈に反対・賛成するのでなく、冷静に対処していたことは確か。)当時はよくわからなかったが、旧日本軍の行動の是非の議論を知った今では、先生は最高の対応をしていたんだな、と思った。あと非常に巨漢なのに家庭科も担当していた。

 

 僕自身についていえば、小学校高学年になってすこし尖りをみせたくらいで、それまでは真面目に生きていた。怒られるのが大っ嫌いだったせいかもな。よくない理由である。友達は居ないわけでもなく、まれに一緒にゲームしたりもした。ただ、家庭環境上、放課後は児童館直行であった。児童館はなかなかに楽しかった。ドラえもんの漫画がずらっと並んでいた事には感動したな。割と下の学年の子とも遊んだし。(舐められたけど、それは愛されたとも言える、、、よね?)

下ネタとか全然詳しくなく、そういう系の話には疎遠であった。そもそもそういう話をしていた人が居た記憶すら僕の中にはない。一人では結構ゲームをやっていた。といっても基本的にはメジャーなもの。switchも小6のころから使ってるっていうね。

 

中学校時代

――部活選択は一大イベント?

 中学の記憶は割と濃い。そして嫌な思い出も割と多い。

中1の頃はもう不穏な流れが出ていた。担任の先生は癖強系の個人的には好きな人であったのだが、、、

僕と隣の人が、少ししたら学校来なくなったのは残念だったな。その後その隣の人の話をしているところに入ろうとしたら「君は来ないほうが良い」って言われて、僕が原因であることを見事に確定されたし。そんなもんか、つまんない奴は、、、。

そこから派生される「真面目なキャラへの嫌悪」は、割と危ない考えであると思う。正直今の非常にチー牛だとか陰キャがネットで弄られている現在、彼らにつけられがちな「真面目なやつ」「優しいやつ」という称号はもはや嫌われる対象になり、つまんないと思われている...と思った瞬間、尖ろうと決意してしまう。下ネタを言ってみてたり、悪口を言ってみたり。昔の僕である。その結果僕はアクセル・ブレーキの加減がわからない+真面目キャラが急に変なこと言った事による面白さ+自身の弱さによる反撃可能性の低さ により、下ネタをポロっと言ってしまい、不名誉なあだ名をつけられた。

はっきりいって絶望に近かった。弄られてるだけマシだと、段々思えるようにはなったのだが、最初の頃は本当に悲しかった。ストレスものである。まさかいっこ爆弾発言したせいでそこまで引っ張るかよ、ってね。今は笑い話に昇華させた。

部活について。僕は、「スポーツできない絵書けない料理できないでも無所属は嫌だ」という奴らが集まる、サイアクの部活、、、すなわち科学部を選択してしまった。こっからはもう楽しいけれども熱があるとはあまり言えない、中途半端な部活生活の始まり。今思えばバスケ部あたり入部しても面白かったんだろうけど。でも小学生の時点で運動センスは微妙だったから、、どうだろうか。(前も書いたかもしれないが、顧問がクソすぎるせいで、運動部入ったものの運動そのものが嫌いになって家に引きこもりがちになってしまった人を見ただけに、本当に部活は人生を左右させうると思う。部活のせいで運動嫌悪になるなんて、本当にひどい話である。)

消極的に部活を選ぶと絶対後悔する、とだけは言えるだろう。

 

 中2の記憶はあまり深くは書けないかも。しいて言えばズボン下げられたことがそれなりにあったことだろうか。やっぱそういう奴らって、被害にあうマジメ系の人の反応を見て楽しんでいるのか、それともそのような無様な姿を女子に見せて女子とそういう人を離そうとしているのか、いまいち目的が分からない。多分女子に注目されてもらいたいのだろう。そんなことしてついてくるのは人を虐めて笑うような残念な奴だけどね、多分。まあそいつらが成功しても僕はそれ以上に(自分の中で)成功すればこちらの勝利である。そんぐらいのメンタルは高校で身に着けたぞ僕は。

あとは、、、担任の先生が、教師のわりにメンタルがかなり脆かったことぐらいか、覚えているのは。

 中3あたりはコロナもあってかあまり思い出というものはない。、、、と思いきや、なんか知らんけど学級委員長になった。学級委員を選ぶとき等に特有の、誰も手を挙げないで話が進まない雰囲気が大っ嫌いなので、思わず僕は手を挙げてしまったが、それが地獄への入り口だった。そういう時に限ってじゃんけんに負け、見事に学級委員長決定。弱気な僕がクラスを指揮することもできず、、、学級崩壊はしなかったが先生には何回か注意された。ほんとに申し訳ないとしか言えない、、、が僕のリーダー適性が良い方向に変わったのかは不明。結局相性次第なんだよ。この時も弱かった自分はちょいちょい舐められた。ほんとに、あの高校に入れてよかったと実感する瞬間である。あのままだったらサイアクな人間ができる。

 

ここまで

いったん切るか。ちょっと書きすぎた。

 

文化祭への考察その3 

少子化って、高校の活動にも影響を与えると思います。当然ですけど、なんか盲点?

 

未来編 

 前回までは人としての姿勢や根幹の部分を考えたので、今日は未来の話を。完全なる僕個人の考えなのでまあ論理的に事故ってたりしたらそれはそれで。

どうしてもこういう個人の考えというのは経験によるものがあるので僕の高校の情報をあらかじめ書いておこう。その方が無意識に前提としていた事が現れて戸惑うこともないだろうし。(え!男子高の話だったのですか!的な困惑の防止)結構詳しいので多分その高校にいる人がみたらバレるが、まあバレて損することはないからよし。

☆場所は北関東。高校情報は前にも書いたけど、公立の男子校(結構絞られそう笑)。文化祭は県内随一の規模。だいたい1万人くらいだったか。開催時期は6月。一学年の生徒数は280人ほどで実行委員は100人いるかいないかくらいだったっけ。。。?実行委員というのはさらに細かく班や課に分けられている(グッズ担当やイベント運営系や人事管理や一般生徒の統括担当とか)。実行委員の人らは、とにかく忙しいとこは春休みくらいから土日とかで活動しているくらい。そこら辺の高校の運営委員とは比べちゃいけない()。さらに実行委員の班からひとりチーフが決まっており定期的に会議したりする。先生がいることもいないこともある。

先生はある程度は干渉するが基本的には生徒主体である。予算も使い道さえ記録すればこちらのもの(?)である。多いとこでは数十万円の金が動く。県の業者とかと頼む班も多い。というか県民、市民の協力で成り立っているところがかなり大きい。

 

時勢による変化は僕らの文化祭に好転を与えるか?

――進みすぎはよくない。一回、振り返ってみよ?

 僕らの文化祭はコロナによる超自粛ムードの時、一回開催が見送られた。テーマも決まっていたしほんとにぎりぎりまで迷ったうえでのことだったんだなと思っている。その後、校内限定で開催したり、観客を大幅に制限したり、時間帯を制限したり、、、。とにかくいろいろあった。そして去年は、それなりに人数を制限し、それ以外は概ねコロナ前と近い形になった。ちょっと感染症対策が厳しかったけどね(;'∀')

この今年の文化祭を”コロナ後”の新たなスタンダードとして、これからを考えていこう的な考えを持った人がそれなりに居たが、僕はちょっと違うと思う。

所詮コロナは一時の悲劇にすぎず、ちょっとしたら感染症対策ムードは元通り、なかったことになると思う。ただ、コロナ後の文化祭で大きく変わるだろう点があるのは確かである。文化祭のカタチが変わることにおいて、”持続可能性といった時勢の流れ”が主な原因であり、その時ちょうどコロナがぶつかっちゃった。という流れだと思う。(因果関係のあるところがずれてる)

変わったことというのは、「大量生産・大量消費からの脱却」「後処理の厳格化」とかが真っ先に思いつく。これだけ言えばよい方向にしか変わってないと思われるが、個人的には、「”大胆な文化祭”が失われた」という点も忘れてはいけないと思う。時勢が変わって様々なことに配慮しなくてはいけない現代において、羽目を外しすぎるのは不釣り合いといえる。近所迷惑だからうるさくしちゃダメ、夜は危ないから早めに作業は切り上げよ、とかいう注意の声によって、コロナ以前の昔の文化祭よりは小さいモノになってしまったことは否定できない。

――ただ、これも仕方ないのかもしれない。うーん、、、僕としてはとにかくデカいことをやりまくった昔の文化祭に戻ってそれを体感してみたいのだが、難しそう。というか当の”現代に生きる”、ある意味当事者の、僕が言うのは違うと思うが。

(この”現代に生きる人”というのは次のテーマで絡めることにする。)

こんなことを思っていると、あのような激しいモノにはいつか限界があるのではと思えた。それが限界に達してもう戻れず、どっかでブチ切れる前に、この時勢の流れに乗じて、コロナという機会を利用しつつ、見直すことができたのは幸運だったのかもしれない。衰退する前に、思い切って抑制してそのうえでの最大限を尽くすのは姿勢としては素晴らしいものだと思う。

 

熱が失われた原因に現代人の性がある?

――もっと体、動かそうよ

 ハッキリ言って、生徒の側の熱が失われたと言われても否定できない。...僕はなんだかんだ最後は真面目に頑張る系のちょい弱キャラを貫いた(無意識的か意識的かはわからない)が、そんな僕も熱は少ない方かも?

なんでかといえば、結局スマートフォンの台頭だろう。ああ、、、もうこんな現代評論は飽きた。そうだろう。自分もこういうアンチ先端技術的な評論はもう読み飽きた。

…でも実際そうかもしれない。スマホによって家の中の娯楽が増え、外に出る機会が減ったと思う。そのせいで体を積極的に動かすことに拒絶を覚える人が増えた気がする。みんなで遊ぶ必要もなく、娯楽が個人の問題にとどまることも増えた。これは完全に憶測だけど。それ以外の、たとえばサイアクな中学の部活環境とかで運動にトラウマを覚えたという、かなり悲しい事が原因な人も居たが、今回は別の話。(それはそれで心が痛む話である)もちろん秘めているナニカがある人は文化祭でいかんなくソレを発揮できるのだが、ぼーーっとしてた人は最初は中途半端になる(そんな人でもある程度変化できるのが文化祭実行委員の良いところだが、そもそも元から熱があるのが一番に決まってる)。

、、、、でも、どうなんだろうか。ここら辺は自分でもよく整理できない。なら書くなと言われそうだが、整理できないからってそれが無意味だとロックしてはいけない。なんとなくそう感じるのである。

うーん、、、うまく表現できないな。でもなーーんか、コロナ前の熱のある文化祭実行委員メンバーと今の人らは違うとこがある気がする。。。あとは、実行委員を志望する人が少なくなったことだろうか。それこそ、アンチ労働・過剰な個人主義による?とにかく、文化祭というものに非協力的というか、興味ない層が現れたことは確かだろう。

そして僕ら実行委員側としては、彼らを蔑むことはだめである。彼らを蔑んで強引に連れ出しても悪い印象を与えるだけだし、文化祭への彼らが持つイメージは悪化する。

そう考えると、彼らの意識をうまく変えることがまず大切なのかなと思いつつある。

そもそも実行委員を志望する時点でかなりのやる気の持ち主だもんね。

 

今日はここまで

未来編。もうちょっと書くべきこともありそうだが、、いったん。

今日はいつも以上に書くのが難しかった。文章も拙いだろう。(前回も言ったか?もしそうなら、記録更新。)ただ戦から退いた僕らにとっては、未来が輝くことを祈るのみ。干渉しすぎては、OB(⇒大きいだけのバカ)になる笑。

こんどはちょっと調子乗って趣味の話したい。ミクさん、出番ですよ!

誤字が多かったらごめんなさい。ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

文化祭への考察 多分その2

文化祭という概念を作った人は素晴らしいと思います

 

前回は、、、

まあいろいろ書いたけど続きですね。ちょっと原理に立ち返ってみますかね。そもそもそれなりの年齢の高校生に何を求め、どうすべきなんでしょうかね、、、高校の一行事に。

 

高校の文化祭って何のために?

結論から言うと、自己表現と協同のため、だろうか?

まず、”高校の”と付け加えたのには大きなわけがある(あくまで僕が通った公立の中高の話なので当てはまらなかったらごめんなさい。)。

中学の文化祭は、はっきりいってただの発表会である。先生がだいたい用意した舞台に、適当に踊ったりする。サイアクなのが合唱コンクール

高校の文化祭は逆に、ある程度の自由が認められるとともに「だいたいは楽しいだけの催し」という点が異なると思う。

 中学の文化祭は、とにかく人によって辛い思い出にも、楽しい思い出にもなりうると思う。その差が激しいとともに、辛い想い出になる確率も高いと思う。

簡単に言えば、その訳は「与えられたモノでしかない」からであろう。先に言った合唱コンクールが典型例である。合唱コンクールは、生徒がやりたいからやるものでない。教師側が、中学の青春()と成長()を望むために与えたものでしかない。よって、歌うのが嫌いな人や内気な人は、意識高い奴らに「もっと本気で歌ってよー!」とか言われる末路である。嫌いなことをやらされる不快感は尋常じゃない。

一方、高校の文化祭は自由度が認められているため、やりたいことをやれる。そのやりたいことは人それぞれであり、そこに自己表現の機会が生まれる。加えて、この自己表現の機会というのは文化祭が最初だと思う。小中の美術や図工の時間は、結局絵描きや陶芸、彫刻といったひとつの枠に絞られるが、高校の文化祭でやりたいことは自由に決められる。絵が得意な人は絵を描く班に入ればいいし、踊りたい人はそれ専用の班やイベントに出ればよい。とにかく、選択する自由があり、そのうえでの自己表現が可能ということだ。この高校文化祭を機に、自己表現に勤しむことが大事なのは言うまでもない。

もう一つは協同である。聞き飽きた人も居るかもしれないが、聞き飽きるくらい話される時点で大事なのは確かである。

協同というのは、結局働く側のモチベーションにかかわるので、自由にやりたいことをやれるという点で同じく高校文化祭で初めてしっかりと実感することだろう。

とにかく、独りで静かにやるだけではダメになる。ここである意味人としての試練が課せられる。不釣り合いそうな人でも、話しかけていかに協力して同じ達成目標に立ち向かえるか、、、。これは班長といった権力者にも、一般平民にも当てはまる。

小中までの協同というのは、ハッキリ言って中途半端である、、、とりわけ文化祭の核となりうる、中学のころ文化部だった人にとっては。

この高校の文化祭で、やっと本格的に働くという機会が与えられると思う。(個人的には、結構夜遅くまで学校にいるという経験がこれまでになかったので、夜になっても同じ生徒と居るという感覚が不思議で、楽しかった。)

なんかうまくまとめれないが、まぁつまり独りでいるだけではダメってこと。もちろん、ずーっと独りじゃなければ全然十分。むしろ普段無能っぽい人が一人で真面目に作業している姿を見ると勇気づけられることもある。

 とにかくその自己表現と協同というのを核において文化祭活動に勤しんでもらえると、すばらしい青春を味わえることだろう...。

ところで自己表現と協同って、なんか対立概念みたいに思われる。個人的にはココにこそ本質が隠れていると思う。

ある時では遺憾なく私を表現して、でもある時には他者による表現の機会を手伝う。これの連鎖が文化祭の準備に詰まっていると感じる。そして、こう書くと「自己表現」と「協同」はあくまで自分視点の話であり、周りから見たら「表現」の結果がきれいに映る という事実が浮かび上がる。協同が他者の表現の支えとなっているからだ。だからこそ、協同というものは周りから見えにくい。しかし、なにかしらの表現をするために働いた人は、その表現をした人以外にもたくさんいるということは忘れてはいけない。(少々冗長な表現だが、これは僕のせい笑)

 

少し個人的な話

僕にとっての高校の文化祭は最大の青春といえるだろう。最近、「ああ、、、もうあのような体験はできないのだな」と少し寂しくなるほど。

その理由の一つには、なんといっても「人と関われたから」がある。

僕は小中はだいたい人との関わりから逃げ、話しかけることが苦手なものであった。せいぜい部活の時はそれなりに話したが、部活自体の熱が冷めていたので印象にあまり残っていない。だいたいは一人でいた。休み時間は遊ぶこともあったが図書館に行くことも多かったかもな。それはそれで楽しかった。。。。。?

――なんか寂しい

そう感じることがまれにあった。え?自分で独りになろうとしたのに? そんなもんである、人間なんぞ。そんな矛盾した感情を抱えたまま(というかそもそもそんなことあんま考えてなかったかもしれないが)高校に入った。

なんだかんだあって文化祭準備の時期になる。なんか、働くことが楽しく感じた。人と一緒にいるのって、楽しいのだな、、、。青春である。初めてホンモノの青春☆スクールライフを送れた気がする。三年になってある程度の権力を得てからは、ほかの班とも交流するようになって、結果的にかなりの友達を作ることができた。(と僕は思っている。向こうがどう思っているかはわからないが)

だいたい、一人が好きな人も、周りでみんなが楽しそうに話している環境にいてはいつか限界が来ると思う。その結果僕はだめだとか負の連鎖に陥ってしまってはもったいなさすぎる。とにかく人とともにいる時間は作るべきである。...そんなこと言うと「そんな人との交流がすぐできるわけねえよ、甘くねえんだよ!」とか言われそうだが。まあ実際僕は運がよかったなとは思っている。

でも機会として交流する場があるのは揺るがない事実である。この時に、自分を上に見すぎて「へッ、愚民ども話しかけんな」とか思ってもいいけれど、もしいつか寂しくなっても甘くしてくれる人は少ないかもしれない。

僕としてはここでなんだかんだ人といっぱい話せたので、結果としてある程度の自信を持った人になれた、、、と自負している(自負できるだけ成長でしょう?)

 

きょうはここまで

文化祭の根っこに関しては正直自分としても悩むところがあって書くのが難しい。多分いつもより文同士の接続関係が変だと思うがご了承を。

僕は基本的には弱い人を自認しているが、そういう弱い人が成長できる場として文化祭が機能してもらえればなと思う。実際、文化祭の実行委員の上層部は、無所属の人や、生徒会みたいないつも学校行事で見るメンツではない人も多かった。悪く言えば、文化祭上層部なのが少し意外だなと思う人が割といた。文化祭は実行委員だが、体育祭的なものでは一般平民、という人も結構いた。僕を含めたそういう人らにとっては救いだったのだろう。

文化祭に限らないが、男子校は永遠に、陰キャでも輝ける場であってほしいと心から願う。共学は、、、知らない!

文化祭への考察 多分その1

所詮は高校生。限界ってものがあります。

でも学べることはたくさんありますよね。

 

まずはじめに

これまでのはあくまで体験記録。ただ一人の物語。個人的にはこっからが本番。

高校における文化祭はどうあるべきか?どのような能力が必要か?失敗したと言える点も多かったからこそ考察していければと思う。懺悔も含む。

正直未来の僕が見て役立つかは不明だが、僕の高校のように文化祭とかの学校行事が生徒主体で大きい高校の生徒が見てくれれば幸いである。多分リーダー的ポジの話が多め。

 

大人対コドモの戦い

たいていの場合、権力者は敵で弱者は見方側になりがちである。弱者を排斥するヒーローなんぞあまり見ない。

文化祭においては、学校や教育委員会といった大人が権力者ポジションで、生徒が弱者ポジションとなる。ここに非対称な力関係が現れ、メディアや世間は弱者の味方をして、権力者を説得する流れが現れがち。

ただ...フィクションの見過ぎだろうが、どうも「高校生の僕達が大人を説得して、とても楽しい行事を完成させました!いろんな反対の声もありましたが、僕達の熱意が勝りました!」みたいな物語を作ろうとしてる人や、挙句現実がそうなると妄信する人が多いと思う。これは文化祭に限らず、政治関係でもよくある。(たまに、というか大体?は弱者を裏で操る別の権力者がいることもあるが、今回はそれとは別の話。)

はっきり言ってこんなの「我が儘」にすぎないのではないか?よく敵にされがちな大人側の事情に立ってみると、「やりたいのはやまやまだけど金がない」「やりたいんだけど、それに見合うリスクが大きいんだよ」という気持ちが見えてくるはずである。

―え?それはわかってるって?でも、僕らはやれるから大丈夫って?

そんなのは無責任である。とても大切なことを忘れている。すなわち「生徒は大人が作った環境を借りている」ことである。僕としては、体験談にあった怒られ話で酷く痛感した。そう、環境を作ったのはほかでもない教師なのである。よって、基本的には教師の言い分はある程度まで聞かなければならないのは当然である。他人の部屋を汚くしたら綺麗にしなきゃいけないし、他人の金はその他人に従って使うべきである。大丈夫という無根拠な発言で自分の環境を相手に受け渡すほどの勇気のある人は少ない。

ただ、僕らのような生徒主体の学校では、教師がある程度の譲歩をして、生徒に自由を与えている形にまる。もちろん、それが当然だと思っては最悪である。むしろ譲歩させられた立場なのにさらに我が儘言うなんて大人としてはひどく腹が立つに違いない。それで怒ってみたらメディアに取り上げられ、権力者はたたかれる運命になる。

結局、大人対コドモの”戦い”は幻想にすぎず、生徒側は当然、教師側の言い分を最大限考慮して”共同”しなければならない。甘えてもらった事が奇跡なだけであり、そんな成功体験を当然のように語ってはいけない。まして生徒の成果とするのは論外である。感謝の心は常に忘れてはならない。

 

長の特権

 チーフというか班長としてうまくいかなかった僕だからこそ言えるが、班長やリーダーというのは、ほかの者より少し権力があるからこそ、その権力を使わなければならない。すなわち、人を指示して教育することである。

ただ、僕みたいな少々弱い人は、自分一人で解決したくなりがちである。(あと人を指図することに全く慣れてなかった。というかあれを機に慣れる必要があったのだろうけど)これは一般の民なら問題ないが、チーフ的な人にとっては少々問題になる。

まず、班員が、今なにをやるべきかを把握しにくくなると思う。頑張っている姿勢を見せるのは大事だし、それを見て成長する人もいるだろう。ただ、それよりは、今何をすべきかを言葉で明示して、やることを染み込ませる方が確実だし班員にとってもやりやすいのではないか。あと、弱い下級生(?)にとっては、独り頑張る人よりもうまく指揮して場を動かす人のほうがかっこよく見えるもんである。というか、真面目な人よりちょっと尖っていながらも人を利用する人のほうが人気が出やすい気がする笑。

ここで大事なのは「与えられた権利を果たす」ことだろうか?

これも文化祭にかかわらないことで、かなり個人的な意見だが、ある程度の権力を持つ人は、それ相応に力を発揮しなければいけないと思う。当然だと思う人もいるかもしれないが、前述した、独りで働くだけのチーフ君は残念ながら「それ相応に力を発揮していない。」働くことなんて誰でもできることである。ある程度の指図する地位があるからこそ、その権利を使い果たす必要がある。宝の持ち腐れは最悪である。

そういうわけで、権力者は相応の力を出さなければいけないから、必ずしも昔権力が(相対的に)強かった”男性”が幸せといえるかどうかはわからない、実は相応に頑張るという義務があって辛い面もあったはず、、、というのは完全なる余談。多分怒られる。これだから男子校は、、、、。

まあとにかく、長としての権利はしっかり使い果たす必要がある。チーフ的な人にしかないってことは、使わないと何もない。あるのは個人個人が働くだけの場になる。実際、ほかの班でしっかり指揮するチーフを見て実感した。行き過ぎた個人主義では覇気がない。ある程度の権力関係があってこそ、意識の高い場になると思う。指図しないで作業するだけの人をチーフといえるのか...。

 

支えの存在

 僕の班にはめっちゃ有能な同学年の子がいた。とにかく自分が詳しくない分野に明るく、ベストマッチ。指示すれば働く。最高である。

 加えて、精神上の支えというか、楽しみのひとつとなった人もいる。隣で作業してた班の班長君がこれにあたる。なんだかんだ今でも付き合いがあるし、この文化祭活動を機に一気に仲良くなったと言える。この出会いを得た時点でチーフになってよかったと言えるくらい。とにかく話して楽しいし、教養?があるし、趣味が似ている。しょうしょうウザったいし自尊心高いのに腹が立つが、そんくらいの尖りがある方が面白い。向こうがどう思っているかはわからないが、僕としては最高の友達の一人といえるかも。

はっきりいって、彼らのような支え(集団でなく、一人の人)は必要不可欠である。誰か一人でいいから見定めるとよい。誰もよさそうな人がいなくても、いつかよくなるから、きっと。

むしろここまでも独りだともう終わりである。何もかもを抱えこみ、相談もおしゃべりもできない、、、。ツマラナイ。これに関しては一年生のころにかかっている、、、というわけでもない。実際、となり班のチーフ君とは二年生後半からやっと話し始めたくらいである。それでせいぜい1年間くらいの仲だが、かなり印象に残る出会いになるものだ。あきらめてはいけない。

ただ、しいて言えば「見えないものを見る人」が欲しかった(上から目線すぎる)か。とにかくどこを見ればいいかわからない僕にとっては、秘書的な人が欲しかったよ

(´;ω;`)

 

今日はここまで

こういう思想的話はかなり楽しい。所詮は「ねー僕の話聞いてよー」っていうコドモと変わらないだろうけど笑。

完全なる僕の考えなので参考になればと思います。絶対的なものにしてはいけませんけどね。

もしここまで読んでくれたならありがとうございました。多分続きかきます