僕の備忘録とか

記録とか適当に思想ばらまいたり

ボカロばなし.2

 大人になりたい私たちは、少し古いコンテンツに触れて年上っぽく振る舞う。

 

今日の話

 ボカロにおける一つのコンテンツ、「週刊vocaloidランキング」(以下、ぼからん)をただただ語る。これを知ったのは2,3年前で、ボカロを知って割と経った後である。

参考資料:週刊VOCAL CharacterとUTAUランキングとは (シュウカンボーカルキャラクタートウタウランキングとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (nicovideo.jp)

 

 ぼからんというのは、その正式名称の通り、一週間ごとにニコニコ上の(広義)ボーカロイド曲の再生数、コメント数、マイリスト数を参照したその週のボカロの人気度ランキングのこと。運営がやっているものでなく、sippotan氏による私営(?)事業。収益性も感じられず、ただただ慈善でやっている感じがする。彼は本当に素晴らしい、、、。一回見てみればわかるが、一人で適当に出来るもんでもないし、それを一週間ごとに作ってるもんだから、相当な労力が伺える。超感謝。

 

曲との出会い

 僕は、このぼからんの2008年ごろから2012年ごろまでのバージョンのをよく見ている。古すぎるのは逆に変な気がするが、2013以降はなんとなく好きな曲が少ない。

まず、この動画をよく見る理由としては、さまざまな曲に出会えるから、といった所である。その一週間で人気であれば良いので、top3にランクインしたものの現在の再生回数はせいぜい5万回、というのもザラにある。この再生数が100万回にも満たさないようなボカロ曲に触れるためにぼからんを見ているといっても過言ではない。100万回以上再生されているような有名曲は、PVを凝ったり、万人受けするような曲構成にしたり、逆にインパクトが強いものと、それ相応の理由があるものの、逆に10万回再生のような曲でも光るものは在るはずなのである。その曲にビビッと来る人は何人もいるのである。ただ、多くの人は触れないだけである。そのビビッと来るマイナー曲を見つけた時の快感よ、、、。(あと自慢できる)ただ、その初めて聞いてよさそうだと思った曲は、フルで聞くとなんか疲れたりしがち。やはり再生数が多い曲は聞きやすいのだ。

もちろん、その一週間で人気な曲には、ずーーっと人気状態が継続されているものもある。いわゆる門番ってやつである。メルトとか初音ミクの消失とかJust be friendsとか、500万回再生を超えるような曲は、長い間ランキングに居座り続ける。この、よく聞いた曲が現れることによる安心感も好き。

あと、2010年代後半から今に至るまでの時代で活躍するボカロPが、まだそこまで有名では無かったころの姿が偶然発見されることもある。下ネタ曲が多いれるりりさんも昔はバラードっぽい正統派を作っていたものだった。今ボカロから離れていちミュージシャンとして絶賛活躍中のあの人は昔から人気だった。

 

人との出会い

 共感する人も多いだろうが、僕は昔の人のナマの言葉を見るのが好き。駅ノートとか。ニコニコのコメントはもろそれである。しかし、有名なボカロ曲は最近のクソガキ現代人に汚染されている。ただ、ぼからんはあまり最近のコメントは見られない。そもそも見る人が少ないだろうし、わざわざ書き込むこともないからであろう。よって、ぼからんでは今から10年前以上の人のナマの言葉を見ることができる貴重なツールである。ボカロの発展を研究するのにも十分役立つはずである。そしてなにより、楽しい。「あ、この曲なんか良いな」と僕が今思ったように、なんと10年ほど前、まだ僕がピッチピチの純粋少年であったころに、別の人が同じように「この曲良さげ」と思っているのである。YouTubeのコメントのように、書くのに猶予がある訳でもないから、さらにあまり深く考えずパッと頭に浮かんだ言葉がコメントとして動画上に流れる。もちろんマイナス評価もあるし、プラス評価をするものもある。自由で、今のネットに見られない温かさと共同性が伺える。

また、10年前の人らしい(?)コメを見るのも楽しい。最たる例は「ハチさん」だ。今では米津玄師として日本のトップ歌手となっているが、昔はハチという名前でボカロP活動をしていた。「あぁ、コイツら、今ハチさんがめっちゃすごい人になっている事を当時は知らないんだろうな。。。」と勝手に想像する。なんと楽しい事か!

そして、2010年代といえば避けては通れぬ話題、すなわち東日本大震災も関わりを見せる。sippotan氏も一人の被災者であったため、ぼからんはその頃数か月間休止していた。その後の復帰回では、様々な応援コメントが流れており、当時の頑張ろうムードの人間の温かさを垣間見れた。司会キャラが例のACのCMの男の子の顔になっていたのも面白い。みんな、あの非常にたくさん流れたCMが好きだったのだ。震災の暗いムードではあのCMはありがたいものだ。震災とは一切関係ない、挨拶するたび友達増えるという単純かつ明るいメッセージを伝えていた。僕は今でもあのCMをYouTubeで見る。

話はそれたが、とにかく、10年ほど前の人間のリアルなコメントを見て、懐かしさと優越感にふけるのもぼからんを見るうえで外せない楽しみである。ある意味避難所みたいなもんだ。その点で、ニコニコ動画は本当に終わらないでほしい()ぼからんはボカロを語るうえで外せない資料になりえるはずだ。

 

締め

 今日もぼからんをみて、ハチさんの曲や暴走Pの曲があって感心した。今も生きて活動している、というのに不思議と感動する。

このようなぼからんという素晴らしい動画を作ったsippotan氏は偉大である。感謝をしてもしきれない。あとこの動画を見て気軽にコメントを流した奴らもね。

 

今日はここまで

 懐古感とは不思議なものである。感動でも、興奮でも、悲哀でもない。なんか、良い。心がすっきりするわけでもないが、、、なんか、良い。時のつながりを感じるのだ。ぼからんを見るたび懐かしさを感じられるともいえるかな?上述の挨拶の魔法のCMを見ても同じ気分になる。(ちなみに、東日本大震災に関しては僕もかなり思うことがある。ただ、文字に起こすのは難しい...)

 少々枝葉の話を突っ込んでみました。ここまで読んでくださりありがとうございました。